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執筆者の写真t.yagihashi

陳腐化した問いかけが暴力になるとき

僕「昨日さ、高校生と興味関心についての話をしていたんだ。」


もうひとりの僕「どんなやりとりだったの?」


僕「自分がやりたいことをまとめたいんだけど、まとまらないから手伝ってもらいたいって言ってくれてね。自分なりにできることをしようとしたんだけど、話もまとまらず時間だけが過ぎていってしまったように思う。」


もうひとりの僕「そうなんだ。関わる時に大切にしようとしていたことってあったのかな。」


僕「うん。本人が関心を持つ分野になんで惹かれるのかを言葉にしていけるといいなと思ってた。」


もうひとりの僕「相手の関心の根っこに触れようとしていたってことかな。すごくいいじゃないか。」


僕「でもね、問いかける時に『なぜ?』『どうして?』っていうことばかり聞いてしまっていたんだよね。この質問の仕方ってすでに言葉として持っている人にとっては話ができるかもしれないけど、これから言葉にしていこうと考えている人にとってはすごく厳しい問いかけだったんじゃないかなって今になって思う。」


もうひとりの僕「いわゆるオープンクエスチョンってやつかな。高校生は『何がしたいの?』って聞かれ過ぎてて、苦しい思いをしているという話も聞くね。」


僕「実際に話をした高校生も少し苦しそうだった。僕がしていた問いかけって、問う側が紋切り型の質問をしてラクをしていただけだったんじゃないかと思ってしまう。」


もうひとりの僕「時と場合によるとは思うけど、相手と目的に合わせた問いかけの仕方は模索する必要があるかもしれないね。」


僕「そうだね。」


もうひとりの僕「例えば、当人の根っこに触れたいのであれば具体的に状況をイメージできる問いかけをするのはどうだろう。『いつ頃そう感じたの?』『きっかけとなる出来事をあげるとしたらどんなもの?』『どこで知ったの?考えたの?』『自分の話に納得感は何%くらいある?』とか。」


僕「確かに。その問いかけが正しいかはわからないけど、『どうして?』とか『なぜ?』よりも解像度高く当人が考えられるかもしれない。問いの暴力をふるっていたわけだ僕は。」


もうひとりの僕「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。他の人はどんな風に人に向き合い、問いかけているんだろうね。」



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