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  • 執筆者の写真t.yagihashi

ambiguous

僕「僕の部屋にはクッションがあるね。そしてそのクッションは、使用によって紐がきれ、中のスポンジが出てきている。」


もうひとりの僕「そうだね。」


僕「僕は裁縫セットを持っていて、それを直すことができる。また、直す時間も持っている。」


もうひとりの僕「そうだね。」


僕「直したい、なぜならスポンジが部屋に散らばっていちいち掃除をしなくてはいけないから、そう思っているけど直すには至っていない。」


もうひとりの僕「うん。」


僕「これはなんでなんだろうな。そもそもこの問いの立て方が思考の進みを阻んでいるようにも思えるけど。」


もうひとりの僕「というと?」


僕「思考の進みを阻んでいるっていうのは、”なぜだろう?”、もしくは”どういうことだろう?”という問いだと、うーんなんでだろう、となってそれ以上進まなくなるんだよな。解像度が低すぎるというか。例えば、”クッションを直す以上に優先順位が高いものがあるか?”とすると、それ以外の現象に目を向けることができる。つまり、どこに焦点を当てるかが曖昧になるっていうことかな。」


もうひとりの僕「なるほど。」


僕「ただ、これには問題も孕んでいる気がしていて。”クッションを直す以上に優先順位が高いものがあるか?”という問いを立てた場合、自分の生活に潜んでいる優先順位に目が向けられて、そのほかの原因に目を向けにくくなると思うんだよね。考えられるものでいうと、”クッションを再利用するようなものを大切にすることに関心があるか”や、”自分にとってクッションは必要か”などかな。」


もうひとりの僕「確かにそうとも言えるかもしれない。」


僕「そう言っても、問いを立てない限りこの状況が変わることもないんだもんな。」


もうひとりの僕「この状況を変える必要があるのかな?」


僕「だって、僕らはいちいちゴミを捨てることになるんだぜ?面倒じゃないか。」


もうひとりの僕「確かにそうかもしれないけど、こうやってなにがしかを考えるきっかけを与えてくれることにもなる。それは状況を変えない理由にはならないかな?」


僕「確かに、そうとも考えられるかもしれない。少なくとも僕らにとっては、だけど。」


もうひとりの僕「これはこじつけのように受け取られるかもしれないけど、そうした意味づけもできるよね。自分で言っていてこじつけにしか思えないけど。僕らにとっても納得感はないはずだ。だって、直す、もしくは買い直す方がいいと思っているんだもの。ただ、それと同時にこうやって考える契機を与えてくれるものでもあると今日自覚したわけだ。現在の僕らにとっては、今ある事象をどう解釈して、考えを展開していくかはとても重要なテーマでもあると思うんだよな。」


僕「そうだね。」


もうひとりの僕「納得いく答えを出すことが全てにおいて重要ではないにしても、誰に迷惑をかけるわけでもないのだからこの曖昧な状況をしばらく維持してみるっていうのもいいんじゃないか。」


僕「そう言われるとそんな気もしてきたな...。」


もうひとりの僕「こうやって書いていて思ったけど、曖昧な、宙ぶらりんなものを苦手としているよね。僕らって。どこかに旗印をたてて、考えを進めていくことを良しとしているからだと思うけど。」


僕「そうだね。」


もうひとりの僕「でも、現実はそううまくいかない、少し気持ち悪く感じてしまうような状況も生まれてくるわけだ。そのことについて考えるためにも残しておこう。そうしよう。」


僕「そうするかぁ...。」



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