僕「初めて養老孟司の本を読んだ。『ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?』ってやつ。」
もうひとりの僕「え、人はなんでゴキブリを嫌うの?気になる。」
僕「結論からいうと”都市化した社会”には、自然の存在であるゴキブリが出ることが想定されていないからみたいだね。別にこれはゴキブリだけじゃなくて、カメムシでもミミズでもいい。」
もうひとりの僕「もうちょっと詳しく。」
僕「いま僕らが住んでいる社会は、家もそうだけど人がつくっていて、使い方なんかも想定されているだろ?人の意図によって、人がつくったものに溢れている。つまり、予想外のことが起きることがよしとされていない社会だってこと。それを養老孟司は都市と呼んでいる。逆の立場を自然としていて、一例としてゴキブリが出ているわけだ。」
もうひとりの僕「でもゴキブリは家に出ることあるよね?」
僕「確かにそう。でも家に出ないように、殺虫剤みたいなもので予防するでしょ?僕らはゴキブリが家に出ることを認めないからこそ、家に出た時暴れるわけだ。」
もうひとりの僕「なるほど。受け入れ難い存在の象徴って感じかな。」
僕「そうそう。逆に想定外のことが当たり前な状況が自然なんだって。最近自然災害も多いけど、あれは予測もできない。この人の意識・意図に包まれた世界とそうでない世界を、都市化された社会-自然という風に言っているみたいだね。」
もうひとりの僕「人の思い通りになるかならないかってことか。」
僕「本文でもあったけど、いまの社会は子供たちに早く大人になることを要求しているように思うんだよね。いまでいえば『探究』という言葉がよく語られるけど、自分の意見を持つ・自分で考えることがどんどん早く求められるようになってきていると思う。」
もうひとりの僕「でもさ、それっておかしなことではないんじゃない?むしろ、自分の考えを持つような環境づくりをしてこなかったいままでの方が変だったってことはないかな。」
僕「いま書いていて、僕もそう思った。教えるべき存在として子供を捉えていたのかもしれないね。ただ、いきなりそれを求められる当人はかなりキツイんじゃないかな。」
もうひとりの僕「かもしれないね。いままでやっていなかったことを急にやれって言われているんだもの。」
僕「都市化と自然の中間が特に大事なんだと思うんだよね。昔は意味もなく、折り紙おっていたり、絵を描いたりしたけど大人になるにつれ、意味がないからやらなくなる。そんな自然の状態がなくなるのは、大人が『なんでそんなことするの?』なんて聞いちゃうことも原因の一つだと思うんだ。」
もうひとりの僕「そういう部分もあるかもね。なんだか最近の関心は問いかけや関わり方に寄っている気がするな。」
僕「確かに。」
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