僕「ずっと、ずっと疑問のままなんだけど。”大人”ってどういう存在なんだろうな。」
もうひとりの僕「”大人”?」
僕「うん。大人と子供の境界について、いまだに全くわからないし、考えを保留してるんだ。」
もうひとりの僕「なるほど。」
僕「大人に関わる表現はたくさんあるよね。”大人買い”、”大人らしい”、”大人顔負け”とか。」
もうひとりの僕「確かに。」
僕「こういった表現を伴う時ってさ、決まって”子供”が対置されていると感じるんだよね。大人買いであれば、子供が買うものを大人が金に物言わせて大量に買うとか。」
もうひとりの僕「うんうん。」
僕「今朝さ、もう少し大人にならないとなぁって思ったの。それでふと”大人”ってどんなイメージなのかを考えていたわけ。」
もうひとりの僕「そうなんだ。」
僕「そこで思い浮かべたのが、例えば自分の考えや言葉があっても、それを飲み込んで『そうだね。』って言ってみたり、感情に任せず自分以外にも伝わる言葉で話をしてみたりとかだったんだよね。言い換えれば、”理性”的とか”客観”的みたいな言葉が当てはまるのかもなって思った。」
もうひとりの僕「へぇ...。」
僕「ここでいう”大人”には、多分相手がいるんだ。自分だけでなく、他者を視野に入れて自分が在ることというか。ひとりよがりにならないようなイメージかな。」
もうひとりの僕「なるほど。なるほど。」
僕「辞書で調べてみたら『【大人】①十分に成長した人。(元服または裳着(もぎ)が済み)一人前になった人。成人 ②考え方・態度が老成(経験を積み、物事に慣れて上手でなること・さま)しているさま』ってあったよ。語源的にいうと『【乙名(おとな)】①一族の長。家長。 ②中・近世、村落の代表者、また、実力者』らしい。」
もうひとりの僕「そうなんだねぇ。」
僕「かつて西欧では、19世紀くらいまでは子供という概念もなかったそうだね。今朝、僕が抱いた”大人”のイメージとは少し違うみたいだけど、近しいところも在るかもしれない。特に『【乙名】一族の長。家長。』とか。その人がおそらく決定権を持っていて、正しさみたいなものがちらついているから。」
もうひとりの僕「なるほどね。ところで、僕らは”大人”なんだろうか?」
僕「さぁね。そういった部分もあれば、そうではない部分もあるんじゃないかと思うけど。」
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