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消費される学び?

  • 執筆者の写真: t.yagihashi
    t.yagihashi
  • 2019年12月24日
  • 読了時間: 2分

学びという言葉はよく聞く。

耳障りがいい言葉、学び。「学び」というと響きがいい。


高校生までは「学び」と言うより、

「勉強」という言葉の方がよく耳にしたけど、

最近はもっぱら「学ぶ」ことの方が出会う。


この言葉には、あくまで僕のイメージだけど、

「主体性」というワードが見え隠れしている気がする。

自ら学ぶことで体験を実践知として昇華させていく。

なんて響きのいい言葉だろう。


イベントの案内なんかを見ていると、

「ワークショップを通して〇〇を学ぶ。」

そんな言葉が行き交う。


ただ、学びってそんなに軽々しいものなんだろうか。

まるでモノを買うかのように、手軽に”学ん”でいくかのような。



それに引き換え、いま僕の手元に残っている先人たちの教えは

特別な機会があったわけではない。


 挨拶をきちんとする

 ご飯は残さない


など、他愛もないことだけどどれも僕が大事にしていて

これからも残していきたいと思えるような行為だ。


他人から伝播してきたモノたちは

長く、地道な繰り返しの中で紡がれてきた。

これを学びと呼ぶかどうかは知らないけど

そう、自分の中に拡がっていったという方がしっくりくる。


そう考えると、親や昔学校で先生たちに

口うるさく言われた様々な経験が僕の身体に流れているみたいだ。


何かを「獲得する」とか、そういうことでもない気がするけど、

うーーん。「学び」って何なんでしょうね。笑

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