学びという言葉はよく聞く。
耳障りがいい言葉、学び。「学び」というと響きがいい。
高校生までは「学び」と言うより、
「勉強」という言葉の方がよく耳にしたけど、
最近はもっぱら「学ぶ」ことの方が出会う。
この言葉には、あくまで僕のイメージだけど、
「主体性」というワードが見え隠れしている気がする。
自ら学ぶことで体験を実践知として昇華させていく。
なんて響きのいい言葉だろう。
イベントの案内なんかを見ていると、
「ワークショップを通して〇〇を学ぶ。」
そんな言葉が行き交う。
ただ、学びってそんなに軽々しいものなんだろうか。
まるでモノを買うかのように、手軽に”学ん”でいくかのような。
それに引き換え、いま僕の手元に残っている先人たちの教えは
特別な機会があったわけではない。
挨拶をきちんとする
ご飯は残さない
など、他愛もないことだけどどれも僕が大事にしていて
これからも残していきたいと思えるような行為だ。
他人から伝播してきたモノたちは
長く、地道な繰り返しの中で紡がれてきた。
これを学びと呼ぶかどうかは知らないけど
そう、自分の中に拡がっていったという方がしっくりくる。
そう考えると、親や昔学校で先生たちに
口うるさく言われた様々な経験が僕の身体に流れているみたいだ。
何かを「獲得する」とか、そういうことでもない気がするけど、
うーーん。「学び」って何なんでしょうね。笑
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