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執筆者の写真t.yagihashi

教師の背中と言葉

僕が今後教育の現場に立ち会う時の不安が

自分が学生だった時がそうだったように

近しい距離の人と長い時間をかけて関わることで

受ける/与える影響の大きさだ。


特に学生-教師のような立場だと、師弟関係に近いような

特別な関係性が生まれて、先輩の背中をみて

態度や姿勢が身体知化されていくことがあると思う。

少なくとも僕の場合はそうだったし、いまでも師匠の

言葉や思想がハッキリと残っていて

それを自分で感じることがよくある。


学校で学生達と関わるとなると今度は先輩や、

教師に近い存在として学生から見られることになって、

僕の影響が少なからず学生に及ぶかと思うとかなり心配だ。


その人の人生や選択肢を僕の一言が大きく運命づけることがあるかもしれないし、もちろんそうではないかもしれない。

ただその可能性があるというのが怖いのだ。


何か悪い影響を及ぼしてしまうのではないか

傷つけることはないだろうか

そんな不安ばかりが募る。

相手が未成年となれば尚更だ。


それでも自分自身が大切にしている、していきたい

と思える姿勢というものはあるし、伝えたいとも思う。



その思いを自分の中で自己に閉じ込めておけないのが

人としての性なのかどうかはわからないが、

少なくとも僕が深く関わり合いを持つ人にはその思想を

無視することがなかなかできない。


そういった気持ちは少なくない人が持っているんじゃないだろうか。そんな話を教職につく友人としていた。

僕はこういった「自己完結できない思想」を他者に押し付けず、なおかつ誠実に相手に表現しようとすることが尊いと感じられる。


自分の中だけでは終えられず、自分にとって当たり前のこととして身体知化された言葉にしにくいであろう言葉たちをあえて言葉にしてまで伝えたいというその行為自体に感動してしまう。


教師たちは常にその現場に直面していて、学生の視線に晒され、まるで役者のように振る舞いを考えているんだそうだ。

他者と関わる上で人に与える影響については少なからず考えていかなくてはならないけど、教育という現場で実践話積む彼の経験談はとても興味深かった。


人は人と関わりながらいきていく。

そしてその人が自分の中にも流れ始める。

結局はそういうことになりそうだ。
















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