ふと気づいた。僕はファッションに関わる周辺の事情にあまり詳しくない。
「服をめぐる諸問題は深刻で、変わっていかなければならない」という思いはあるものの、
実はそういった知っておかなければならない前提についてあまりにも無知だということに気がついた(遅いね...)。
そんなこともあって、随分前に買って読んだ本「ファストファッション-クローゼットの中の憂鬱-」を改めて読んでみた。
この本は、ライターのエリザベス.L.クラインという女性が、
354点もの衣服を自分が所有していることに驚きと屈辱感を感じたところから始まる。
原本は2012年出版らしいのだけれど、その時点でのアメリカ人の平均の服の所有枚数程度なのだそう。
そんなバカなと思って自分も前どのくらい持っているかを調べてみたけど、優に100着は超えているだろう。 著者ほどはいかないが、自分でもこんなに多いとは思っていなかった。
僕たちは服のセンスには敏感だが、どうやら手持ちの服にはあまり目がいかないらしい。
そんな彼女の旅はアメリカから始まり、中国.バングラディシュなどお馴染みのアパレル輸出国に向かうことになる。アメリカの服の現状、ファストファッションを成り立たせているアジア諸国の現場について、そしてこれからのファッションの在り方について彼女なりの実践と考察が書かれている。
面白いのは、ファストファッションを中心としたファッションの現状について調査を重ねているだけでなく、 著者自身が服を手作りしたり、手直して長く使い続ける”スロー”なファッションを志向し、自らが変わっていった様子を描いているところだ。
服をきちんと作ったら、安くはできない。これまで書いてきた通りだ。わたしはこの事実を受け入れるのに二年かかった。引用:同書 p.266「ファッションのこれから」
いまの僕らに根付いたファッションへの眼差しは、過去の在りようと随分と違うらしい。
自分たちの在りようを直視するのは一筋縄ではいかないようだ...。
また、本文中には「ファストファッション信仰者」とでも言えるような人々の姿がしばしば出てくる。
例えば、H&Mのセールで10ドル以下だったからとりあえず買って、一度も着ずに捨ててしまうシーンや、 次々と変わるファッションの流行に追いつくべく、1.2度着たら売る・捨てるを繰り返す人々だ。
確かにファストファッションというと、低コストで買えるがゆえに早いペースで消費をされていくというイメージはある。けれど、実際にそんなことをしている人には出会ったことは一度もない気がする。
思い返してみると、学生時代の友人たちは「LOWRYS FARM」「earth music&ecology」といったブランドの服をよく着ていた気がする。この場合はレディースに限った話になってしまうけど、確かにファストファッションは僕らの世代の価値観の一部になっていたかもしれない。よほどの服好きでなければ1万円以上の服ばかりを買うなんてことはなかったし、手軽な服を選びがちだ。
よくよく考えると、本文中に出てきた、僕の会ったことがないファストな人々は単に表に出てこないだけという可能性だってある。思えば、わざわざ「昨日1度着ただけの服を捨てたわ」なんて口にする人もいない気がする。著者が入念な取材とフィールドワークを重ねたからこそ現れた象徴的なシーンだったと考えるべきだろう。
過去のファッションへと回帰するかと言われたら、それはなかなか難しいと思う。
著者も言っているように、数十年前はジャケットが1着で2-3万するのが普通だったそうだし、一から服を手作りするのが割と当たり前だったそうだ。世界観で生きていた時代だ。 僕ら、特に若い世代がそれを受け入れることは多分、というか無理だろう。
Gapなど業界の先駆者が作り出したこうした価値観はなかなか拭えない。
2012年時点でH&Mは10億枚以上の服を1年で売り上げていたらしく、その規模の大きさが伺える。 あまりにもファストファッションの規模が大きすぎて、過去にはアメリカが対中国向けに行った「多国間繊維協定」は無残にも敗れ去り、アメリカのアパレル産業を停滞させた。それほどまでに威力がある産業だと改めて認識させられた。
ただ、僕は服との新しい付き合い方について実践しながら考えていきたい。
どうすれば”ファスト”ではなく、また”スロー”すぎて一部の人の価値観にならずにいられるか。
大規模なファッション業界・アパレル産業で作られた価値観に、個々人の活動が効果があるのかは悩ましいところだ。
さて、どうしようか…。つづく。
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