僕「一体どうやってはずすのさ....。」
もうひとりの僕「例えば、僕らは眼鏡を実際にかけているよね。眼鏡を外してみると、視界が極端にぼやけて入ってくる情報が減るよね。そうした時って、穏やかな気持ちになったりすると思うんだ。」
僕「実体験としてはそうだなぁ。休憩をしたいときなんかはそうすることが多い。」
もうひとりの僕「ただ、”色眼鏡”というのは物理的なものではないから、これをはずすのは容易ではないよね。他者との関わりの中で自分を相対化することで、やっと自分の”色眼鏡”について理解することができるんじゃないだろうか」
僕「なるほど。越境学習なんかまさにそうかもしれないね。」
もうひとりの僕「そうそう。それに僕らがかけているのは色眼鏡だけではないのかなとも思う。例えば、社会的な常識や立場によっての配慮があったりするよね。”伊達眼鏡”とでも呼べるかな...。」
僕「伊達眼鏡か。自分の信条以外で動くことは多々あるように思うけど、そうした時は”伊達眼鏡”をかけてるってわけか。」
もうひとりの僕「そんなイメージ。人知れず、色々な世界観を背負っていながらもそれには気づけない状態を眼鏡をかけていると説明しているわけだ。結構いい表現だよね。」
僕「すると、科学者の眼鏡とか”〇〇さんの眼鏡”とかもありえそうだね。これはちょっと環
世界論っぽい感じだけど。」
もうひとりの僕「そうかもしれないね。たまには物理的に眼鏡をはずして、別の視界からから人との関わりや自分を見つめてみるのもいいかもしれないよ。」
僕「目つきが悪くならないように気をつけなきゃ...。」
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