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執筆者の写真t.yagihashi

PBLというものへの私見

教育魅力化コーディネーター(仮)として赴任してそろそろ4ヶ月。早い。

暦で言えば、春だったものが夏になっているくらいの時間が過ぎた。

無知のまま、単身、東北の地に飛び込んでもう4ヶ月近くたったのだ。


僕は主に高校生たちの学習の周辺デザイン(?)のようなことを行なっている。

最近では「workshop」と「training」の違いについてよく考える。

workshop :”工房”や”作業場”の意

training :スキルなどの獲得を目指した”研修”の意

つまり、workshopとtraining では前提が違っている。

workshopは何かの獲得を前提としたものではなく、製作のプロセスを通じて個々人が何かを”学び得てしまった”状態になる。逆に研修では学び、全体が得るものが想定されており、それを抜け漏れなく手に入れることが求められる。だからworkshopでは要領よく学ぶなんてことはあり得ないし、当事者たちは各々の作品に対峙し、シリアスに場に関わることになるだろう。少なくとも自分はそういう教育(主に大学で)を受けて、workshopとは手法ではなくスタンスの話であると考えるようになった。

さて、なんでこんな話が始まったかというと、高校生と関わる中でしばしばこの workshop と training の違いについて考える場面に出くわすからだ。僕が主に担当しているのが「総合的な学習の時間」の授業運営、つまりPBLを行う高校生たちの支援だ。

生徒たちは結構気まぐれで、1週間前に「面白い面白い」「燃えてきた」と言っていたものが、今日になると妙にやる気なさげに「うーん、悪くないんすけどね…」なんて、ゴニャゴニャ言い始める。彼らの刺激になればと思って、色々なネタを事前に調べたり、準備したりとしてくるが、「あれれ…」となることがある(笑)

良い場・時間にできるようにマジになっているのは実は先生だったなんてことはよくあることなのかもしれない。


思えば高校生の頃、”マジ”になって議論するとか、そういったことはどこかダサさが付き纏っていた気がする。社会人になってからはイマイチわからなくなってしまったが、ズボンからシャツを出したり、腰パンをしたり、そんなだらしなさみたいなものが僕らにとってのファッションだった。今の高校生の価値観とはもちろん違うかもしれないけど、真面目であることはどこか後ろ髪引かれるような、そんな雰囲気があったように思う。


それが原因かはわからないが、授業やそれ以外の時間までも使って真剣にプロジェクトに打ち込む生徒たちは多くはない。それに高等学校というなかなか中途半端だ。義務教育ではないが、ほとんどの人が当たり前に通う場所なのだ。

だから大学のように「君、何かを学びたくて学校にきたんでしょ?」なんて言葉は聞いた覚えがない。(出くわしてないだけかもしれないが)

さて、途中でPBLという言葉を使ったが、この言葉がよく使われるのが大学の授業やゼミの中だったりする。大学生が企業とかと一緒になって頑張るあれだ。Project Based Learningというと一見、workshopのようなスタンスに思えるが、社会人側の話を聞いてみると、大学生のプロジェクトやらイベントやらがうまくいくようにかなり茶々を入れていたりする。


この仕組まれたPBLに意味があるとすればそれは、高校生たちに”マジな感覚”(?)を味わってもらうことなのかもしれないと思う。人の価値観や思想みたいなものは、その人の周囲の環境によって醸成されることが多い。活動範囲の広くない(特に地方の)高校生はその分、社会人たちよりも視野や知識が狭くなる。そんな高校生たちにとって、マジで活動する社会人たちと活動することで、部活や受験以外の部分にも、シリアスでストイックだけど楽しげな時間や状況があると感じてもらうことができるのではないか。

そういった意味で、義務教育の延長線上にいる高校生たちがPBLに巻き込まれていく状況は結構面白いかもしれない。



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