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執筆者の写真t.yagihashi

無題

別にいつ死んだっていい。 いつからかそう考えるようになった。

これは「限りある人生をよく生きる」ための言葉ではなく

ある種の諦念からくるものだと思っている。



鬱になった時に毎日が生きた心地がしなかった。

布団にくるまり、したいことだってできることだって何もない。

そんな時間の中にいた。


布団の中から天井を見つめて

「空から自分の身体にレールが繋がっていて

 そこをとてつもない勢いでナイフが滑り落ちてきて

 自分に刺さった刹那、もうすでに死んでいた」


そんな事を毎日、毎日、毎日、考えていたんだ。


けれど、自らを傷つけることはしなかったし、

自殺する事もできなかった。

そういった方向に僕の意思は傾かなかった。


何もすることができない苦しさのなか、

死ぬことができるかどうかわからない

賭けに出ることはあまりにも怖かったし、

そうすることで周りに大きな影響を

与えてしまうであろう事くらいは理解していた。


いつか訪れる死を見つめながら

むしろ自らが死を呼び寄せるようにそこにいた。

それは今日も続いている。


そんな状態の僕には『少女終末旅行』という漫画の作者

つくみずさんの言葉がとてもよく響く。

「人類が誰もいなくなった世界で、毎日旅を続ける彼女たちは

 生きるために生きているんじゃないでしょうか。

 そんな生き方があってもいいんじゃないかと思うんです」


こんな趣旨の内容だった。

チト・ユーリという2人の少女が、終わってしまった世界で

ただひたすらに旅を続ける漫画なのだけど

目の前の時間を過ごすしかない僕にとって

なんとなく重なる部分があった。


彼女たちはあるようなないような目的地を

目指して日々過ごす。流れるように時を過ごしていた。

つくみずさんはそんなチトとユーリに向けて

「生きるために生きる」という言葉を送っていた。



ここから先は言葉にできないので、書くことができない。

ただ、「生きるために生きる」という言葉は

どこか力強さと諦めを僕に感じさせてくれる。

彼女たちの過ごした日々が僕には美しく感じられたんだ。

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